ヨーロッパ横断紀行
ランナーの巡礼歩き〜クラクフからジブラルタルまで6700km〜 太田 宏
16・・その2−スペイン3(Ferrol(フェロル)からValença do Minho(ヴァレンサ・ド・ミーニョ)まで9/28-10/8))
【44.9/28(水) Ferrol(フェロル)からPontedeume(ポンテデウメ)まで】
【45.9/29(木) Pontedeume(ポンテデウメ)からBetanzos(ベタンソス)まで− 9.30(金)】
【46.10/1(土) Betanzos(ベタンソス)からospital de Bruma(オスピタル・ブルマ)まで】
【47.10/2(日) Hospital de Bruma(オスピタル・ブルマ)からSantiago de Compostela(サンティアゴ・デ・コンポステーラまで 10/4(火)】
【48.10/5(水) Santiago de Compostela(サンティアゴ・デ・コンポステーラ)からO Pino (Valga)(オピーノ(ヴァルガ))まで】
【49.10/6(木) O Pino (Valga)(オピーノ(ヴァルガ))からPontevedra(ポンテベドラ)まで】
【50.10/7(金) Pontevedra(ポンテベドラ)からSanta Eulálla de Mós (サンタ・エウラリア・デ・モス)まで】
【51.10/8(土)Santa Eulálla de Mós (サンタ・エウラリア・デ・モス)からValença do Minho(ヴァレンサ・ド・ミーニョ)(ポルトガル)まで】
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【44.9/28(水)Ferrol(フェロル)からPontedeume(ポンテデウメ)まで】+【Memoir49--the 1st day of Camino Ingrés】
今日はFerrol(フェロル)からXubia(シュビア)--Neda(ネダ)--Sartego(サルテゴ)--Fene(フェネ)--Mundin(ムンディン)--Pereiro(ペレイロ)--O Val(オ・バル)--Cailla Magdalena(マグダレナ)を経てPontedeume(ポンテデウメ)までの33kmの道。
Camino Ingrés(イギリス人の道)初日。バス移動を挟んだので歩行が途切れているが、毎日くまなく歩いているので「外を歩く」という習慣は変わらない。
Vilalba (ビラルバ)からFerrol(フェロル)までの歩行ルートでは60kmあり、途中テント泊を予定していたくらいなので、負荷が随分と節約された。よってイギリス人の道は湾内をぐるりと半周する遠回りのコースを選び長い距離を歩くことにした。
本来のcamino道であるが、残念ながらMy
Mapを用意していないコースなので完全に矢印を辿る旅となり、ガイドブックも持ち合わせていないため一抹の不安を抱えての出発となった。
Ría de Ferrol(フェロル河口の風景)(8:47) |
Sunrise on the suburb of Ferrol |
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フェロルには軍の施設がある |
8時51分が日の出時刻となってきている。 |
湾を跨ぐAv.Pías(ピアス通り)までの地図があるためあとは運を天に任せて歩き始める。途中工事中の箇所がいくつもありその都度camino道から外される。なかなか元に戻れず焦る。しかもアルベルゲなのか変な方向にも矢印があり一応そこへも首を突っ込む形で右往左往。
五感を利かせ次なる的確な方向を見いださなければならないのに目も悪いせいか、かなり遠回りをさせられる。湾最北東端のNeda で潟に注ぐ川は泥川となっている。それを渡す歩道橋のたもとは心地よい芝生。
10:46 最初の休憩。camino女性がひとり橋を渡っていく。11:36 出発。
Highway from Neda(ネダから高速道路E-1 遠望)(12:22)
12:40 大橋の上の分岐点にさしかかる。この辺りからMy Mapが用意されている。今までの13kmは当初大橋を渡ってショートカットする予定でいたので地図がなかったのである。
14:20 21_01_003 cから300mのPoint で軽食休憩。
Pontedeume手前の3.3km アルベルゲopenは17時。時間調整。-15:15
木陰でなかなか気持ちのよい牧場わき。細いアスファルトの道は800mあたり31m下っている。緩にカーブしているそのみちを休憩中3台通過。最後のは向かえの家の方々だたようだ。門を自動で開けたのかしら。車から降りる気配はなく庭に吸い込まれるように入っていった。camino はカップルが一組だけ通過。
浜辺到着15:40-16:30 スケッチ休憩。
Pontedeume from Ría de Ares of
Magdalena
(マグダレナの海浜よりポンテデウメを眺望)
(skeched at 16:11 in angle of 180°)
Punta Da Macuca from Ría de Ares of Magdalena
(マグダレナの海浜よりマクカ岬を眺望)
(skeched at 16:11 in angle of 226°)
アルベルゲでGolling Sedges セージょと呼んでくれという男性は昨日のホテル1階のBarで同じく鱈を食べていた男性である。
(skeched
at 19:14 in angle of 72°)
Albergue de peregrinos de Pontedeume
(ポンテデウメのアルベルゲ )(18:45)
5€ととても安いアルベルゲ。受付は16:00から。定員20名。
コンプリになれば受け付けはいなくなる。
各自に玄関の鍵が渡される。出ていくときは、最後にポストに入れておく。
Rúa Santiago ,Cocello de Pontedueme
(ポンテデウメ市役所とタイル)(12:23)
Andrade(アンドラーデ)城の塔が近くにあり、
象徴的なタイルが敷かれている。
Caldo Gallego(カルドガジェゴ)(12:23)
(ガリシア風のスープといったらこれしかない。
緑は最初はワカメかと思ったがほうれん草のような野菜である。)
Paco Ruanoはスペイン人。スペイン語しか喋らず早口で捲し立てるがGaraxyの最新機種を持ち綺麗な写真を次から次へと見せてくれる。モスクワ-サンクトペテルブルグのクルージングから帰ってきたばかりで眩しい。
レストラン El Coto de RiojaにPacoとSedjoと3人で繰り出す、ガリシア料理Caldo
Gallego カルド ガジェゴ(ガリシア風スープ)、カレイ鰈に似たmeigaの魚料理に舌づつみ。
Map:Between
Ferrol and Pontedeume
(フェロルからポンテデウメまでの地図)
Elevation Profile :Between
Ferrol and Pontedeume
フェロルからポンテデウメまでの標高プロフィール)
この区間の最高標高は183m
【45.9/29(木)Pontedeume(ポンテデウメ)からBetanzos(ベタンソス)まで− 9.30(金)】+【Memoirs50--the
2nd day of Camino Ingrés】
今日はPontedeume(ポンテデウメ)からBuina--Viadeiro--Baxoi--Miño(ミーニョ)--Ponti do
Porco--Montecelo--Chantadaを経てBetanzos(ベタンソス)までの21km。距離は短いが下図の標高プロフィールのようにup-downが激しい。
Pontedeume(ポンテデウメ)のアルベルゲ(Albergue de peregrinos de Pontedeume)を最後の方で出発。距離が短いため明るくなってから歩いても大丈夫である。8:30と遅めのスタート。
早く着ければその足でA Cornaまで行ってもよいかなぁ。と考えていたが甘かった。100mくらいの丘を登り降りすることなん十回と。疲れはててしまいアルベルゲでダウン。
stall of Fish shop in Pontedeume(ポンテデウメの露店)(8:31)
アルベルゲの建物の一角で魚を売っていた。
View of Pontedeume frkm top (ポンテデウメの眺望)(8:44)
坂道を登っていく。昨日のスケッチ1枚目にある背景の山がこれであったのだ。厳しい登り。
登りの途中で道を間違った。前を女性caminoが歩いていたので気をとられそのまま付いていってしまったのだ。国道N-651に出る前に細い道を登っていかなくてはならなかったのだ。女性も途中で立ち止まった。小生の合図で元来た道に引き返す。500mほども。きつい登りであったのに、resetしやり直し。
10:28 水場休憩。Mino 手前1.5km。My Map 21_01_012 c point 。標高131m
標高11mまで距離800mかけて一気に降りてきた感じた。
11:00 Mino center.
11:16-24 日記記述タイム
21_02_001 b point
本日は地図をトレースしながら現在位置と実際の景色の相違を楽しみながら進む。全くの1人旅。南向きに進路を取っているため北向に書かれた地図はすべてが逆さま。4ケ月前にcamino の友に同じ地図を渡しているが絶対に利用していない筈。だって製作者本人でも見ずらい。
鉄道を跨ぐ長い跨線橋のスロープ(21_02_001 bから446m point)を下りそのまま真っすぐに行ってしまった。マークが無いポイントでもあった。mapを確認すべきであった。モホン(指標)のルールでは極端な曲りでもなければ掲示しなくてもよい。何も無ければそのまま真っ直ぐに。しかし今の場合は振り返る必要があった。はるか離れた道路際に矢印があった。500mほどミス。
12:10-12:55 高速上の広場で昼食休憩。
13.31 森の中に大木の栗。道路にも栗がはじけている。ミニバンが止まり栗拾いをしている2人がいた。カスターニャだという。
再度きつい坂を登り詰める。0mから163mへと。A Luqueiraの円弧をなす道を辿り高速道路を渡って林道をさらに上がる。栗の大木があり実を採取している男性2人。道路にもいがらが散り敷いている。
Harvest of chestnut(栗の収穫)(13:30)
13:53 21_02_004 b point コンクリの椅子があったので地図確認憩。-14:02
アルベルゲで受付をすませそのまま中央の広場へ。英国はHastingsからの若いカップルMegan、Joeと広場で待ち合わせをすることになっていたのだ。
さて、Miño(ミーニョ)の町に到着。海沿いの高台に延びる町であるが、鉄道の跨線橋は緩いスロープになっている。降りたところにUターンの矢印があるべきなのに無いのだ。My Mapをよく見ればそこを来た方向に折り返すという行為を取った筈であるが。
しかしスロープを降りてそのまま道に繋がっているためどこまでも行ってしまってN-651にぶつかる段になって初めて誤りであることに気付く。まったくマークが無いからである。後で、Google Earthで確認したところ50mほどそのまま行けば国道から離れcamino道に合流できたのであるが、
500mも戻って跨線橋に辿りつく。ここではるか向こうに矢印が。先ほど言ったようにUターンのマークが無ければ気づかないマークで無理な相談である。今日は2回も間違ってしまっている。巡礼者が殆ど歩いていないので実に心細い。
あとは作戦通り、近道をしたりしながらBetanzos(ベタンソス)の町へ。
Piled houses of Betanzos(ベタンソスの重なり合った甍(いらか))
(skeched at 16:19 in angle of 260°)
ベタンソスの町の入り口。小さな門があった。
slop of the town(町の坂道)(15:55)
corridor of the town(町の回廊)(15:55)
View from Albergue de peregrinos de Betanzos
(ベタンソスのアルベルゲから)(skeched at 16:42 in angle of 270°)
Betanzosはものすごい急坂に展開された旧市街。予想通りの凄さだ。スケッチポイントがいっぱいあり楽しめる。明日はコルーニャへ一日観光。アルベルゲは再度利用してもよいとのことである。立派なアルベルゲであるが10人程しか泊まっていない。イギリス人の道は空いている!
Praza Irmáns García Naveira
(イルマン・ガリシア・ナベイラ広場)(19:24)
子供たちはどこでも同じ。夜を外で遊ぶ。
これは21:00から食事の習慣だからであろう。それまでは自由に遊びまわっているのだ。
中央にあるバス停から明日A Coruña(ア・コルーニャ)に立つ。
Elevation Profile :Between
Pontedeume and Betanzos
(ポンテデウメからベタンソスまでの標高プロフィール)
この区間の最高標高は163m
9/30(金)+【Memoirs51--the
rest of Camino Ingrés】
今日は1日休息日。Betanzos(ベタンソス)からA Coruña(ア・コルーニャ)-Hercules(ヘラクレス灯台) へのone-day tourを試みた。今回もローカルバスなので格安。
Arrivaのバス 8:00発。広場にあるバス停には7:30着。そこそこの数の客がバスを待つが7:45に到着したバスへは2人が歩み寄っただけ。心配になり女性運転手に聞いてみた。8時発のバスかと。Siという。そのうちに乗客が増え10人くらいを乗せて出発。途中のバス停からもどんどん乗って来る。通勤バスなのであろう。2.2ユーロ。30分置きに出ている。大多数はFerrol からA Coruña 行きのバスがBetanzos(ベタンソス) に寄る。
Ferrol方向へ北上していくので最初は不安。行先を間違ったかとおもったが、大きく遠回りをして住宅街を結んでいくからであろうか。途中で左折をして湾を渡り始めたので胸をなでおろした。
バスは8:50頃 A Coruñaのバスターミナルに到着。鉄道の駅より500m南に位置する。ターミナルに上がるエスカレータは、もう何ヵ月ぶりでの乗り物であろうか。ステップでトレッキングシューズがもたつく。荷物預かりは0.65ユーロの安さだ。最初0.65 (sesenta cinco セセンタ
シンコ)を6(seis セイス)と聞き間違え,1,2と数えながらユーロを出そうとしたら係員から笑われた。なんと1ユーロでお釣りがきた。預かり賃の相違は、14:30までの時間を境に時間帯が2つあるようだ。灯台へはバス4番がよいという。久々に見る巨大都市である。バスは迷路のような市街を縫って北部半島に2つある方の岬の左側に上っていく。更に上りに転じる交差点で運転手に聞いてみた。ヘラクレスに行きたいんだが。まさにここだと。バスの方向に沿って登って行こうとしたらブーと音がする。そっちじゃないのだ。東側に行けとジェスチャー。観光バスではないので悠長に灯台など回らないのだろう。
Torre de Hércules A Coruña(ヘラクレス灯台 ア・コルーニャ )
(skeched at 9:40 in angle of 180°)
2009年世界文化遺産に登録された。2000年の歴史を持つ現役の灯台。
螺旋模様は、かっては灯台の燃料を運ぶ通路だったという。
Hercules(ヘラクレス)灯台の現在の高さは59m。一世紀から光り続けている灯台で世界遺産である。当初は現在より低く41.5mであったという。面白いのは燃料を運ぶスロープが5回ほど塔に巻き付いていたらしくその螺旋の面影が壁に残っていることだ。10:00
openの灯台内の博物館に10:08に入る。一番客だ。年齢を正直に言ったら半額の1.5ユーロ。何もかも安い。
階段を数えると234段。どうも階段類はカウントの癖がついてしまっている。高尾山男坂は本当に108段なのかとか、ケルンの大聖堂のは何段だったとか。
the reef of Hercules(ヘラクレス灯台直下の岩礁)(9:42)
さて帰りは?まず迷路のような道を辿って教えて貰ったバス停に到着。そのまま戻ってもよかったのであるが折角のA Coruñaである。
Calle Panaderasという一角。昼時に近いためそろそろ人で混み出す時間である。瞬間の静けさのなかに午後4時まで続くであろう喧騒が隠れている。Maria Pita広場にあるインフォメーションでcamino 手帳(クレデンシャル)に記念の印を貰う。
Rúa Franja A Coruña(旧市街近くのフランハ通り)(11:16)
この直後に昼食の混雑が始まるレストラン街
Plaza de María Pita A Coruña(マリア・ピーター広場)(11:33)
旧市街地の更に詳しい地図を貰ってCidade Villa地区に登っていく。A Coruñaの歴史が詰まった一画であるが観光客は少ない。Colleglate
church o Santa Maria del Campo をスケッチしていたら唐かえでの木々の裏にあるのが私の家よ と小綺麗なご婦人が近づいてくる。ひとしきり教会の歴史を説明して最後にムイブエン (とても良く描けているわ)とお世辞を言って自分の家の方に歩いていった。曇り空だったが雨が降りだす。石畳の坂道を降りる。
Igrexa da Colexiata A Coruña(サント・マリア参事会教会)
(skeched at 11:52 in angle of 100°)
Avenida MontotoにあるBar(Toroi)に避難。スクランブルエッグ、ベーコン、コーヒー、コカ・コーラなどを注文。路上のテラス席から旧市街に登っていく。坂道をスケッチ。いっぱしの画家か?
恥ずかしくなってしまう。
Rúa santoago from Al Restaurante Noray A Coruña
(レストラン・ノレイからサンティアゴ通りを眺める )
(skeched at 13:13 in angle of 126°)
ここからはバスターミナルへは1Aが良いとインフォメーションで教えてくれているのでバスの間隔をチェック。1、1A、2、2A、3A、など8系統のバスが目の前に停まる。バーテンにも一様確認のために聞いてみた。「3」番のバスがターミナルに行くと。そんな番号はなかった。1Aの勘違い。バスは15分置きに入れ替わりにやってくる。都会を人とコミニュケーションを取りながら過ごすより、camino
道を歩いているほうがよっぽど楽である。
1Aのバスがやってきた。13:30。ターミナル到着13:45。同じアルベルゲながら荷物は持ち出しており、駅に預かってもらっている。それを受け取り14:00のバスでBetanzos(ベタンソス)へ帰る。なんとタイミングが良いのだ
アルベルゲに帰ると、一人の男性がアルベルゲの開門を待っていた。オスピタレロが所用のため留守にしているのでちょっと待ってくれという置手紙が門に挟んであったらしい。ロゼッタストーン解読をやっていると自己紹介を始めた。この学者がMario Pozzati Tipolo(マリオ)でサンティアゴまでお世話になった。ミソロジーや巫女、神武天皇にも興味があるという、来年できれば四国巡礼を歩きたいと。caminoはローマを含めて10回目だという。
傑作なのがこの教授、小生がスケッチをし始めるとソワソワし始めた。氏もアルベルゲをスケッチし始めた。ごく小さなノートにではあるが。こっちのを遠回しに覗きに来た。坂道を形成する両側の家の複雑な組む会わせと後方に広がる丘の風景。楽しい風景を味わいながらも2人がそれぞれ道端に立ち何かを描いている。
Rúa Ferreiros Betanzos(フェレイロス通り ベタンソス)
(skeched at 17:00 in angle of 280°)
城壁に門がある。
今日のオスピタレロ
はFernandフェルナンド 駆け足で戻ってきた。4人がキューを作った感じであるが順番に受付が始まる。小生だけ2日目にあたるためスタンプはなし。宿泊代6ユーロだけ。
このフェルナンド、乾燥機に掛かっていた衣類をベッドまで運んでくれるなど実に親切に細々とやってくてる。感謝の気持ちを込めてビール1缶プレゼントした。Betanzos には聖 Francisco 教会、聖マリー教会など多数の教会がありいかにも歴史的に重要な位置を占めている。中央の広場に集まる多数の道の2つがcamino 道で石畳。南北に連なっている。明日の旅ではこの南側の道を真っ直ぐに登っていく。聖フランシスコ教会では19:30にミサが始まるという。久々に出席、この教会、不思議なことに祭壇に当たる部分が南南東を向いている。このため中央上段の壁に西日を通した丸いステンドグラスの光が差し込み徐々に動いていく。こんな面白い現象を見たのは初めてである。ご光のような印。
Igrexa de San Francisco & Igrexa de
Santa María del Azogue Betanzos
(サン・フランシスコ教会(左)とサンタ・マリア教会 ベタンソス)
(skeched at 17:10 in angle of 60°)
夜教授と日記を書いたりしていたら皆が集まりだした。もう22:22だというのに。スマホでの写真撮影を今一つ熟知していないせいか、セルフタイマ10sec、自分撮り、フラッシュの設定などをことごとく失敗したりして笑いを取る。腹を抱えててみんが笑い転げるのだ。おかげ様をもってよい写真が撮れた。
24:00まで歌ったり歓談。こちらは知床旅情を歌う。
集まったのは以下の8人。ガリシアからのLola、サラマンカからのEmilio、イタリア出身のロンドン大学客員教授Mario Pozzoi Tiepolo、ベルギーからのEidi(プロのViola奏者! 日本に2回も来てい婦人でもあり日本通) 、シシリアからのSimona(わはっはとよく笑う)
カタルーニアからのToni bassolbb as (すっかりスキンヘッドだ)、同じくカタルーニアからーのバイク女性Valle に小生。彼らとはまたサンティアゴ・デ・コンポステラで会うことになった。
Map:Between
Betanzos and A Coruña
(ベタンソスからア・コルーニャまでの地図)
【46.10/1(土)Betanzos(ベタンソス)からospital de Bruma(オスピタル・ブルマ)まで】
今日はBetanzos(ベタンソス)からSan Estevo--Puente Presedo(プレセド)--Leiro--Sta.Eulalia--Santo Tomeを経てHospital
de Bruma(オスピタル・ブルマ)までの30km。
Betanzos(ベタンソス)のアルベルゲ(Albergue de peregrinos de Betanzos)を例のごとく1番で抜け出す。どうもいつも眠りが浅いため早起きが日課となっている。荷物類はすでに昨晩から階下に置いてあるのだ。身一つでベッドを抜け出す。2段ベッドもほとんどは一人で使用している。がら空きのアルベルゲであった。
Maps.Meに頼らずに、My-Mapだけで進めることを立証したい。敢えて早朝の暗がりを進むことにした。
広場を抜け道はまっすぐ真南に進む。広場は国道まで走っている不思議な空間である。地図を見てもこれが広場なのかわからないくらいだ。道が10本ほど広場に集中している。しかしcamino道はこの南北を貫く2本のみ。
起伏に富んだこの魅力的な歴史遺産の町は時間があれば隈なく歩き回ってみたいものだった。旧市街をなす盛り上がった山が周囲の丘に囲まれ、谷間が円弧をなし、そこに蛇行した川が流れる。面白い風景がそこから生まれる。この町も10秒進むごとにスケッチしたくなる町であった。
ところが地図に注意書きが足りなかった(21_02_006 bから610m point)。橋を渡り左に曲がるように見えるような書き方。いきなり間違ってしまった。道路に沿うように書かれているが、一本中に入った登りのcamino 道を行かねばならなかった。
お陰で400mも戻るはめに。昼間であれば壁に埋め込まれたモホンを確認できたのかも知れない。その後は暗な道、森に次ぐ森---。問題はない。指標も道路の上に書かれた矢印、My Mapのランドマークをそのたびにチェック。8:02やっとヘッドライトを外す。さて、真っ暗な丘を登っていき、鉄道を越すと高速道路のA6を跨ぎ田舎道となる。今日SCに到着予定のバイクcaminoの女性が僕を抜かしていく。なかなか風光明媚な田舎。冷え冷えとした秋の朝。誰にも合わないのどかな道程である。
21_02_009 cd間500m point 。もう半ズボン、半袖では寒すぎる。朝冷えのなか全く汗を掻かなくなった。SC空港から飛び立った飛行機が曙の空に美しい。
10:14 21_02_014 a point でカタルーニャに住むバイク女性Valleが追いつく。彼女はこの足で50km先のSCに本日中に入る筈だ。頑張れヴァジェ!
途中 随分大きい栗のイガが落ち大きな栗が弾けていた。丸々と太ったものを2、3個拾う。昨夜は皆で栗を茹でて食べたものである。本日も同じメンバーが集結する筈。
11:10 昼食休憩。この間山里は店など皆無。昼が21_02_14 bのpoint Boueiro 11:43 出発。
今日の最高位は435m。もうこんな登りは金輪際お断りしたい。
Presedo(プレセドの田舎の景色)(10:24)
Presedo(プレセドの斜面)(10:50)
A Pedreira(ア・ペドレイラ)(11:54)
直線が1kmも続く。
14:31 Hospital de Bruma(オスピタル・ブルマ)のアルベルゲ(Albergue de peregrinos de Hospital
de Bruma)に到着。近所にはスーパーがないが心配はないと言う。14:00から16:00に亙ってパン屋、果物屋、野菜屋がそれぞれ車でやって来るからだ。ブーと警笛を鳴らすと家々から人が買い出しに駆けつけて来る。
Hospital de Bruma(オスピタル・ブルマ)
移動スーパーの警笛にみんなが走る
Albergue de peregrinos de Hospital de Bruma(オスピタル・ブルマのアルベルゲ)
(skeched at 16:15 in angle of 300°)
18時までにはのうちに昨日の全員が到着。Malioと小生は18:30に一軒しかない村のBarへ夕食に出かける。残りはアルベルゲで夕食を作っていた。ポテト、チキン苫東、パンなど結構豪勢な食事。2人も合流し夕食は続く、別の団体はイタリアのボーイスカウト。9人も。祈りの歌の後
食事。
今日はこのHospital de Bruma に17人が泊まった勘定。ほぼフル。
Map:Between
Betanzos and Hospital de Bruma
(ベタンソスからオスピタル・ブルマまでの地図)
Elevation Profile :Between
Betanzos and Hospital de Bruma
(ベタンソスからオスピタル・ブルマまでの標高プロフィール)
この区間の最高標高は435m。
【47.10/2(日)Hospital de Bruma(オスピタル・ブルマ)からSantiago de
Compostela(サンティアゴ・デ・コンポステーラまで 10/4(火)】+【Memoir53--4rd
day of Camino Ingrés】
当初はHospital de Bruma(オスピタル・ブルマ)から結果としてSCまで。Cabeza de Lobo--A Rúa--A
Calle--Sigüeiro(シグエイロ)→ AC-250→Marantos→Vilasuso→Sionilla→O
Barral→Poligono→Rúa do Rio→Rúa da Pastorizaを経てSantiago
de Compostela(サンティアゴ・デ・コンポステーラ)まで大廻り40km。
今日は24km先の Sigüeiro(シグエイロ)まで楽勝の距離の予定だった。全員が恐らくこの距離であるため7:00まで寝静まっている。しかしながら6:30頃から2、3人がそわそわし出し一階の食堂に光が灯る。着替えをするためだ。小生はマリオ教授の例に倣って朝シャワーという余裕。その後は何時ものようにたっぷりの朝食。時間は7:20にもなっている。室内は最早ヘッドライトを点けてこそこそするような時間ではない。思いきって室内灯を点けてみた。作業はずっとしやすいはずだ。
衣類を入れるスタッフバッグの一つがない。昨日洗濯物を干している時、果物の販売車がやって来たのだ。皆がダッシュで走って行った。その時咄嗟に折り畳んで別の袋に入れていたことをすっかり忘れていた。探し物をしている間に時間はどんどん過ぎていく。無いものはしょうがいない。諦めて8:30 出発。1番手はViola弾きで日本通のEidi(エディ)。2番手はSantiagoさん(サンティアゴ:昨夜上のベッドでひっそりと寝ていた男性)、3番手は小生。前を行く2人のシルエットがうっすらと確認できる。互いに追いついて3人がトウモロコシ畑を行く。日の出の瞬間はいつ見ても素晴らしい。拝みたくなる。
8:45と遅くなっている日の出を撮影したりゆっくりとした歩調。
morning glow of Hospital de
Bruma(オスピタル・ブルマの朝焼け)(8:33)
女性が"ピース(おしっこ)"と言ったと思うのだが突然トウモロコシ畑に消えた。あとはこの男性と話しながら段々とspeed を上げていく。彼はその方が合っているらしい。聞くと昨夜はA Coruñaから40kmも歩いてアルベルゲに19:00に到着しバタンキューで寝てしまったのだと言う。今日の予定を聞いて見るとSC(Santiago de Compostela )まで行けたら行きたいと。 A
Coruñaからもイギリス人の道があるがtotal 80kmで100kmに満たなく"コンポステラ"という巡礼証明書が貰えないため、余り歩く人がいないのは事実。バルセロナに住むスペイン人であった。
母親がガリシア出身であることから彼に"Santiago "という名前を付けてしまったのだと恥ずかしそうに話す(セビリアではさしずめ"カルメン"と女の子に名前を付けるのと似ている。) "サンチャゴ"がサンチャゴを目指すという傑作な話し。まだ"自分の名前"の大聖堂には入っていないのだと。バルセロナに住みながらサクラダファミリアの中もまだ見ていないとも。灯台もと暗しとはこのことか。彼に触発されてSCまで進むというアイディアが浮上した、明日の予定分16kmを前倒しするというあり得ないスケジュール。実行出来たらどんなに素晴らしいことだろう。Camino der Norte の知り合いの多くが今日の10/2(日曜日)に照準を会わせていたからだ。遅い到着となるため何人に会えるかわからないが。
9:30-40
カフェコンレチェ休憩。この時点でマリオ教授が追い付いて来ている。12月生まれで小生より5ケ月若いが荷物が少ない分速く歩けるようだ。
Barを出てからは話し込んでいる2人を残し俄然speed upして独り旅を楽しむ。お喋りに興じるよりMy Map上の距離を歩測しながら四辻毎に現在位置を確認することに時間を割きたい。
beautiful mushrooms(camino道のキノコ)(11:17)
11:38 高速下通過=My Map 21_03_010 d point ここはSigüeiro 7km手前
。SCへ行けるかも!さて高速と平行に走る直線コースは7kmも。
stright camino-road(12:06)
7kmも真っ直ぐな道が続く。camino道としては少し不自然
なかなかの景観であるがcamino道としては少し不自然な感じ。現代版の道であろう。開発が優先されたためcamino道も真っ直ぐに修整されたようである。森を切り裂いて出来た道のように見える。
12:53
Sigüeiro(シグエイロ)着。
peaple on the horses in Sigüeiro(シグエイロで)(12:50)
何回もトレースした町と公園にたどり着いた。全部覚えている。空から見た景色を地で歩いている不思議な感覚。公園を巻く道を行ってもよいのだ。黄い矢印がそちらの方向にも書かれている。camino 道にはモホンが誘導してくれる。
12:30-13:20
公園で昼食休憩。歩き始めたら後続のサンチャゴとマリオ教授がやって来た。街角のBarで作戦会議。マリオはここのHostelに泊まるという。サンチャゴは"サンチャゴ"を目指すという。彼にとってはこれがいけなかった。足を痛めてしまいフィニステラには予定通り行けなくなってしまったからだ。SCでの宿はマリオ教授がオスピタレロを務めるFin del Camino Hostel(フィン・デル・カミノ;Rúa de
Moscova,s/n 8€)というアルベルゲと決定。総ての設備が整った素晴らしい近代的なアルベルゲであるという。SC市内から2kmほどMonte do Gozo(モンテドゴーソ)に向けて戻った所にあるという。
14:25 Bar-Minras
出発。My Mapは話しながら進むことには敵さない。21_04_001_cから150m先で右折のポイントを見落とした。その上にMaps.Meのトレース情報に誤りがあった。まっすぐ南下しフランス人の道に合流するように作られている。途中から"My-Camino"道を創作し苦心しながらも本当のイギリス人の道に合流した。サンチャゴには随分苦労をさせてしまった。
18:00 カテドラル到着。山のようにいる観光客の中にむさ苦しいが意気揚々とオブラロイド広場に突入。
この瞬間はいつも素晴らしい。鼻高々である。巡礼事務所18:30、コンポステラをもらう列がぐるりと廊下を巻き外側の噴水の所が最後尾という。日曜日でも事務所は20:30までやっているとのこと。玄関を閉めるまでは巡礼者が入場できるようだ。明日8時の受付のほうが空いているという。
19:00-20:30 街角のBarで夕食。実はこれが単なる街角ではなかった。フランス人の道に面していたからだ。やけに人通りが多いなと思いながら1週間もサンチャゴにいるというテントを担いだカップルと爆笑に次ぐ爆笑。隣近所には迷惑な話である。何がそんなに可笑しいか? 覚えているのは秘密にしてあった年齢を教えたときだ。二人はひっくり返ってしまった。全員クレージなんだよ と説得。
The central alter of the Cathedral Santiago de Compostela
(サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂の中央祭壇(足場が組まれており内部も工事中))
(skeched at 10:00 in angle of 0° 3rd.Oct.)
中央は聖ヤコブ像。後ろから抱き着くことが出来る。
arrival at Santiago de Compostela
(サンティアゴ・デ・コンポステーラ到着)(18:10)
あと数年かかるという修復工事。(2019年には足場が取り外された。)
Map:Between
Hospital de Bruma and Santiago de Compostela
(オスピタル・ブルマからサンティアゴ・デ・コンポステーラまでの地図)
Elevation Profile :Between
Between Hospital de Bruma and Santiago de Compostela
(オスピタル・ブルマからサンティアゴ・デ・コンポステーラまでの標高プロフィール)
10/3(月)2日目 Arbergue
del Fin del Camino--Camino Office+【Memoirs54--resting】
昨夜のアルベルゲは、Fin del Camino Hostel(フィン・デル・カミノ;Rúa de Moscova,s/n)。フランス人の道の最終段階であるMonte do
Gozo(モンテドゴーソ)から2kmの距離で、SCとの中間に位置する。
中心部からは2kmも離れているため閑静であり落ち着いて休むことが出来るのではないだろうか。什器や電子機器、台所setが完備されており申し分ない。しかも広大な庭付きである。ビルのまるまる一階部分がアルベルゲspaceとなっているという贅沢さ。100人規模の巨大アルベルゲである。築10年であるが、WiFi 、キッチンなど全てが揃ったアルベルゲで心地よさではNo.1ではないだろうか。都心から離れており静かである。9ユーロ。これからSCに向かわれる方お薦め。マリオはずっとここで年の半分近くを(3〜5月、8〜10月)オスピタレロのボランティアを行うという。現在は天涯孤独で母親のロザリオを大事そうに首に巻く。
そこをリュックを担いで6:40抜け出した。今度こそコンポステラを貰い、パラドールが提供する巡礼者用の朝食にありつき、大聖堂の中に入ってヤコブ様に抱きつきスケッチをしボタフメイロを見たいと--やるべきことは山ほどある。
早朝からcaminoスタイルとなり、今まさにサンティアゴに到着したかのような感じで再び大聖堂を目指す。今度は、オブラドイロ広場から階段を降りOficina de Acogida al Peregrino (巡礼事務所)に。7:15
camino 事務所到着。既に10人くらいが並んでいたが昨日のと比べると雲泥の差。真っ暗な中コーヒーを啜ったりお喋りをしたり8時の開門を待つ。その時点で60人くらいが並んでいた。
Camino Office(巡礼事務所の受付順番待ち)(7:50)
受付のスタッフは6、7人。1人ひとり電光掲示板に書かれた番号の所に進み出る。合計何キロ歩いたかは問題ではない。SCまで"継続して100km以上歩いたことをクレデンシャルに押されたスタンプから読み解くから大変だ。こちらはFerrol からSC(114km)の分の巡礼証明書が発行された。これは無料。3ユーロ追加すれば歩いた距離を証明してくれる。2ユーロ払えば証明書保存用の筒を買える。少し奮発をして距離証明書を作ってもらう。スケッチブックに挟めばいいので筒は要らない。ここでリュックを2ユーロで預かってもらう。Bookingしてあるホテルに午後に行くまで預かってもらう。スケッチブックを入れた小型のザック一つという身軽い体勢。
さて次なるはパラドールの朝食サービス! 9:00スタートながら8:30現在 1人しかおらず拍子抜け。
Breakfast by Paradole(パラドールによる朝食賄い)(9:08)
9:00に偶然通りかかったコンポステラを貰いたての2人(アメリカからの新婚で5w フランス人の道を歩いてきたというディレクターと俳優)を加えて結局10人の定員に7人が招き入れられた。厳かな玄関を通過し中庭に出て小部屋に。多種類のパンにジャムの小瓶がテーブルにところ狭しと並べられている。コーヒー、ミルク、沸騰したお湯などのポットが並びゴージャス。そこにスペイン・ドキュメントのTV局の取材が入った。TVに映っても良いのかと事前にQ。全てYesマンの小生にカメラが回る。Yesと応えた人のみが映るように慎重にアングルが選ばれるようだ。食後のちょっとしたインタビューに応じるかとの質問にもYesと応えたばかりに大変なことに。カメラクルーの数人とドキュメンタリーのアナウンサーやディレクターに囲まれて庭先で収録が始まった。camino の感想などを聞かれスケッチなどを介して長時間のインタビューを受ける。この放映は来年になるという。期待しないで待つことにしよう。
続いてカテドラルの中へ。サンチャゴ氏が来ていた。フィニステラ行きは足の都合で1日延期の模様。後でメールが入ったが自転車を15ユーロで借りたらしい。10時になっているが大聖堂は空いている。本当のヤコブさんに抱きついたり堂内をスケッチしたり自由に時間を過ごす。水彩の水を捨てに北口に3m出ただけで再入場は認められず再び南口から入り直す。どのゲートもまだ列は出来ておらず大聖堂の観光は午前中に限ることを実感。その意味でも昨夜中にSCに到着しておいて正解であった。11時前に南北方向(十字架で言う短い方の左右のウィング)の北側の席に座りミサを待つことに。
Botafumeiro(ボタフメイロ:巨大な吊り香炉を炊く儀式)が始まる予感がしたのだ。スペイン警察の高官が大挙してやってきていたことや、指定席が相当の数で用意されていたことからほぼ推察できた。このBotafumeiro(ボタフメイロ)、金曜日夜のミサ以外で行われるためには一定の条件が揃わないと挙行されないようである。
Video撮影したので、下記の絵をクリック。リンク先でも絵をクリックしてください。10MBの容量があるのでダウンロードに時間がかかるかもしれない。
Botafumeiro(ボタフメイロ(12:50)動画像
(スペイン警察の高官は毎年の恒例行事で胸の勲章が増えていくという。翌日の新聞topにでていた。)
11:47ミサが始まる。巡礼者読み上げのタイミングではいの一番「フェロール Japan」と。朝一の受付で早かったためか、"Camino Inglésイギリス人の道"が前にあったからではないだろうか。スタートした地名毎に国名が口早に次々とlist upされていく。12:43壇上のspeach tableが片付けられた。
ついに12:51 ボタフメイロが開始される。昨日の日曜日19:00のミサでは実行されなかったようだ。金曜日の19:00は確実というのはこの曜日を指定した関係筋の出資があるからだという。スペイン警察や座席を予約した日本の観光団体や多数の組織から金が動いた筈だ。
今日のボタフメイロは特別に長い。香炉の揺れが止められもせず長い時間振られている。席が良かったため長時間Videoを回すことができた。
Praza
de Cetvantesセルバンテス広場にあるレストランManoroで昼食。
さて午後のスケッチはどこへ?オブラドイロ広場でうろうろしていたらUSAからの男性が声を掛けてきた。朝の賄い食に一番で並んでいた男性である。ホテルにチェックイン。
Plaza Celvantes Santiago de
Compostela
(セルバンテス広場)(skeched at 15:17 in angle of 337°)
中央のビル一階入り口はレストランManoro。巡礼達が大勢集う。
Praza da Quintana Santiago de Compostela
大聖堂東側 キンタナ広場)(skeched at 15:53 in angle of 100°)
Praza da Quintana Santiago de Compostela
(大聖堂東側 キンタナ広場)(skeched at 16:15 in angle of 250°)
Catedral de Santiago de Compostela from Praza do Obradoiro
(オブラドイロ広場からサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂)
(skeched at 17:08 in angle of 116°)
この絵は不思議だ。大聖堂だけが正面を向いている。それほど印象が強かったのだろう。
スケッチのついでに、またパラドールの夕食の賄いへ。18:30に丁度10人目で滑り込みセーフ。朝食と違って各自調理室へ上がっていきトレーに色々な物を載せてもらう。5星のレストランの厨房は流石に大きい。50mほどの廊下に10部屋の調理室。ガラス越しに機材や料理が見える。ワイン数本なども渡され全てを小部屋に運ぶ。食事は豪華絢爛。これがタダだとは信じられない。
外に出れば夕焼けが始まっていた。20:08 sun set日没をスケッチ!
sunset from Praza do Obradoiro Santiago de Compostela
(オブラドイロ広場の階段から西日)(skeched at 20:05 in angle of
250°)
10/4(火) 3日目+【Memoirs55--resting】
今日は歩行休息日2日目なるも、やることは多い。1・Monte do Gozo(モンテドゴーソ)に行くこと(往復10km)、2・パラドールの昼食サービスにありつくこと(11:30までは列に並びたい)、3・壊れたポシェットの代わりになるようなバックを買うこと、4・Hostelお薦めのレストランで魚介類を食べること、5・・衣類をすべてコインランドリーにかけて洗濯すること。
ただそれらが至って楽なのは、リュックを持たず、スケッチの道具を入れたミニリュックとポシェットのみを身に着けるだけで良く極めて軽装であるからである。
7:20 出発。まだ暗い中を、Camino Francésの道を逆走する形でMonte do Gozo(モンテドゴーソ)に向かう。懐かしい町並みが次々と現れる。
大聖堂を指す2人の彫像はMonte do Goso の丘から300m離れている。下側すなわち南側から進む場合は巨大アルベルゲ・モントデゴーソの底辺から登っていく方が早い。公園は現在整備中で最後の追い込み。
Monte do Gozo(モンテドゴーソ)ではcaminoルートに加え、
300mほど離れている場所にある2人の巡礼の銅像を見たあと、丘を下ってくるルートもある。様子を知って近道をとる巡礼者である。再度もと来た場所に戻ってcamino道を下ってくるのが一般的である。
morning glow of Monte do Gozo(モンテドゴーソの朝焼け)(8:28)
sunrise
of Monte do Gozo(モンテドゴーソ)(8:48)
時間は8:20。朝焼けが始まった。日光と彫像の間に木立があるため上手く日の出が彫像に当たる瞬間をとらえられない。女性caminoが1人いた。記念撮影。イギリス人の道から到着したばかりの4人、
僕を知っていたらしく抱擁してくる。
Monte do Gozo(モンテドゴーソで記念撮影)(8:33)
像はこんなに大きいのだ。高さ3mはある。
Monte do Gozo(モンテドゴーソ)
(skeched at 8:50 in angle of 0°)
記念のスケッチを1枚。高さ3mほどもある2人の彫像。身丈半分ほどのオーバーガウンを羽織っている。前後に帆立て貝。杖には瓢箪。ポシェットを肩からぶら下げている。革で出来た上物であろう。プッくりと膨らんでいる。足はサンダル履き。頑丈な足首。実はこの彫像が小生を一押ししてくれた。壊れてしまったポシェットを買い替えと。
市内へ引き返す。マリオ教授から聞いていた中国人経営のバッグ屋をこの界隈で探したが見つからず。
Plaza do
Obradoiro(オブラドイロ広場)を小走りに歩いていたらまたマリオ教授に会った。スーパーマリオのゲームをしているみたいによく"hit"する。この教授もまたパラドール食を食べに!
そのまま昼の賄い食の列にならぶ。マリオ教授ともそこで合流。イギリス人の道で出会ったSimona(わはっはとよく笑うシシリア出身のイタリア女性)、Toni(すっかりスキンヘッドのカタルーニャ出身のスペイン人)が並んだ。きっちり10人で賄い食に整列した。豪華な厨房が何部屋もある廊下を通って食事の支度を我々が協力しておこなう。
11:25 行列はなく我々が1、2番。しかし直ぐに満杯の10人に。Camino イギリス人の道で会っていたSimona 、Toniもこの中に。3番手から5番手はなんと
ポルトガルの道をリスボンから、はたまたPortoポルトから歩いてきた人達で、あとで主人に代わってミサに参加する3番手の奥さんの方が懇切丁寧に情報を教えてくれる。
『Padrónは階段を下りて教会に行け、Caldes de Reisは足湯がある。Pontevedraは聖母マリアの町 この道で最も重要なpoint 、Valença do Minhoのアルベルゲは閉鎖さているかも(これは誤りであった。時間外で閉まっていたのだろう、)、Barcelosからはバスで1時間のBragaへ行くべし、Vilarinho(ヴィラリーニョ)からは海岸コースがよい。』と。もの凄いspeedで捲し立てノートに書いてくれる。
さてこの昼食は豪華であった。豆を煮たスープ風のもの、分厚い魚のムニエル、玉子の料理に目玉焼き、テーブルワインに果物、ヨーグルト、デザート、オレンジと飽食状態である。
Countyard of Hostal de Los Reyes Católicos
(パラドールの中庭)(12:59)
食後マリオはパラドールの中を仔細に案内してくれる。リッチな人々が寛いでいるすぐ脇の彫刻までもその謂れを解説。なにもかも詳しいのでおったまげた。パラドールを出たところで日本カミーノデサンティアゴのスタッフだった小川氏に会う。北の道をオビエドから歩いてきて完遂された
その後、マリオ教授とともにバッグを買いに行く。Rúa do Preguntoiroプレグントイロ通りにあるJulio Tojoの店へ。Tojoは東邦という日本語であるらしい。30€であったショルダーバッグは革製で、白黒2種類があった。マリオ教授とっさに2つ買うといくらになるか相談し出した。27€と値が下がった。
しかし彼自身、立派なショルダーバッグをいつも携帯しておりそこに大切なものを全部詰め込んでいていじらしいほどそれに愛着を持っていたのである。同じものを買う必要はない。教授に思いとどまってもらい、黒だけを30€出して買ってきた。パスポートなどの貴重品、スマホもコンパスもノートブックもすべて引っ越した。
Rúa do Preguntoiro from south
of Plaza de Cervantes
プレグントイロ通り セルバンテス広場の南側(13:10)
間口2mの店が100軒ばかりひしめく商店街
さてSCはもう見納めであると思うと涙が出てくる。オブラドイロ広場から見て左側の階段を下りた所にあるBarから大聖堂を見上げた光景をスケッチ。
Santiago de Compostela(サンティアゴ・デ・コンポステラ)
(skeched at 14:52 in angle of
20°)
名残を惜しむ
5月にここをスケッチした人から賀状が届いた。
10月時点では右側の塔の足場が半分くらいとれている。
恐らく次回聖年の2021年までには工事が完了するのではないだろうか。
ホテルに帰りオーナーにコインランドリーの場所を聞きつつ裏手にあるテラスへ。屋上テラスは全くのプライベートスペースでアロエや各種のハーブを栽培していた。
日が燦々と降り注ぐ。丁度真下がガリシア広場、2、300m離れたらところに大聖堂。ビルの5階部分だけのHostelであるが連日満員の札が立つ。
(PR Plaza de Galicia)(PR プラサ
デ ガリシアホステル屋上から大聖堂)(15:41)
洗濯は、着ているものも含めてほぼ全てを洗濯。5ユーロに乾燥3ユーロと値が張るがSCで一旦全てをresetした積り。
最後の晩餐はこれも教えてもらったRue da Vaina という小路にあるMaria Castañaへ。
3食分只だったのでたまの贅沢。
ワインはJoaquin Rebolledo 。アントレは例の如くCaldo Gallego(カルド
ガジェゴ):ガリシア風スープ、野菜がワカメに見えてしょうがないがホウレン草のような葉っぱが煮込まれたものでワカメ色、これに豆とポテトが煮込まれている。スープといえばこれ以外にないらしい。
2ndはメインディッシュ。Navalas ao Allo 長い貝をつるりと飲んだのは12年前。その時は生であった。今回のは別の貝を。煮込まれガーリックで味付けされたもので固くはあるが非常に美味。7本の貝を平らげる。パンと一緒にRazor shell(1cmx12cmぐらいの長い貝)、デザートはTiramisu with Chestnuts.22:24 退出。(魚介類のお店)(22:44)
【48.10/5(水)Santiago de Compostela(サンティアゴ・デ・コンポステーラ)からO
Pino (Valga)(オピーノ(ヴァルガ))まで】+【Memoir56--1st
day of Camino Portugués 】
今日のコースは、SC(Santiago de Compostela)からMilladoioro(ミヤドイオロ)--Rúa de Francos(ルア・デ・フランコス)--Teo--Areal--Esclavitude--Camblas--Santa María de Iria--Padrón(パドロン)--Puentecesures(プエンテセジュレ)--San Miguel de
Valga(サン・ミゲル・デ・ヴァルガ)を経てO Pino
(Valga)(オピーノ(ヴァルガ))までの31km。
最重要物件が入っていたポシェットは壊れたためごみ箱に捨ててきた。代わりに今日からショルダーバッグを肩から掛け、リュックを背負っている。
この順番がややこしい。どちらを先に担ぐかで肩に掛かる負荷が違ってくる。以前のは、ポシェットのバックルが腰に当たり、痛かったのであるが今度は右肩に何かが当たる感じでぎこちない。これも慣れであろうか。
The broken pochette and new shoulder bag(8:00)
手前が今まで使ってきたポシェット(布製)、
奥が今回から使うことになったショルダーバッグ(革製)
今日はCamino Portugués(ポルトガル人の道)初日。SC(Santiago de Compostela)から初めて南下する道を取る。朝の気温11℃。ずいぶん寒くなってきたものだ。最近はスタート時は長袖を上に羽織っている。
下はまだ半ズボンのままであるが。
8:08出発。しかもリスボンからの巡礼とは真逆のSCからリスボンに向けて。
Av.de Rosalía de Castro(ロサリア・デ・カストロ通り)を南西に向かう。Rúa do Mestre Matero(メストレ・マテオ)通りの広い道路がちょうど「く」の字に曲がっている場所で交差する。5差路あるいは見方によれば7差路となっておりランドアバウトであるため進行方向が分からず思わず磁石とMy Mapの双方を見ながら方向を確認。市中心からまだ1kmしか歩いていないのにこの有様である。前途多難な進軍の開始となった。
矢印は青色。サービスであろう。反対向きに歩く人のためにつけてくれている。1人旅なので自由にMy Mapで完全確認。正方向にこれだけ多くの人がいるなんて驚きだ。O Milladoioro(ミヤドイオロ)を過ぎた辺りから北上する巡礼者が非常に多くなってきた。これらはおそらく近くにあるアルベルゲから集団でSCに向かう人たちである。
こちらは矢印も何もないものだからMy Mapを見ながら必死で歩測しているのに、"Buen camino", "Buenos
días", "¡Hola!" と声を掛けてくる。100人が100とも。その度に返事をしているとだんだん歩測が怪しくなってくる。歩測と同時に何人と会ったかをカウントし、すれ違う車の数までカウントしているので、脳みそがいくつあって足りないのである。15,16,17とカウントが続き、"Buen camino",
"Buenos días", "¡Hola!",と返すときは、20,21,22というように18,19,20の6歩分を飛ばす。
164人目のcaminoとすれ違った。途中から車の数は止めた。あと返事をする場合は立ち止まることにした。情報を得る必要も時にはあるからである。
この先にBarがあるかなど。
。
10:48--40
22_01_006 bから480m。SC手前12km地点。広い運動公園。ここまでで100人以上のcamino に会う。
休憩時間内でも40人ほど通過!
camino at A Angueird de Soso(続々やってくる巡礼者)(11:49)
面白いことに、すれ違う人たちの脳には今まで歩いて来た道程の記憶が残っている筈である。逆に彼らのこれから進むべき道の多難さについては、小生が記憶として持っている。この時点で脳みそが入れ替われば、あるいは記憶の交換ができれば、お互いの未来が把握できることになるのだ。
10年後にはこういうことをスマホがやってくれている筈である。
今は、口頭であと1km行けばBarがありますよ。向こうはあと500m行けばBarがありますよと。
こちらは歩測をしているから非常に正確である。彼らはだいたいの感じで話すので曖昧である。
My Mapで見る限り「ポルトガル人の道」はくねくねと良く曲がるものだ。車道以外の道で真っ直ぐな道は皆無である。矢印を見落としたら最後あらぬ方向に行ってしまうことを覚悟しなければならない。反対方向に向かう青い矢印は極端に少ない。巡礼者が向こうから歩いてきてくれるとそっちの方向に行けば良いのだと分かるのであるが、迷っている時に限って巡礼者は来てくれない。むしろどうでもよい時にドバっと来たりするので始末が悪い。
予定では初日からテント泊である。すこし足を伸ばしアルベルゲがある村に到達したいものだ。寝ぐせが付いてしまいベッドが恋しいのだ。食料は十分に積んである。
WiFiのつながる環境で既に近場のめぼしいアルベルゲの写真と住所などはScreen Copyしてライブラリーに保存してある。
葡萄を収穫している農家がいたので写真をみせて場所を聞いてみた。見せた写真がまずかった。ここから10kmという。時間は16:00を回っている。街道にあったミニコンビニで聞いてみた。Pinoのアルベルゲ(Albergue de peregrinos de O Pino (Valga) )の写真を見せた。こちらの方は2kmだという。これで救われた。時間は18:00である。これなら明るいうちに到着できそうである。
(12:04)
O Vila(オーヴィラのぶどう棚)(12:31)
Igrexa de Santa María de Cruces at A Escravtude (クルセスのサンタマリア教会)(13:00)
13:00 大きな教会あり。一つ鐘が鳴る。22_01_009 aから350m。県道に合流する箇所。13:03 出発。14:20-50
Padrón
手前800mに教会あり、そこで昼食休憩。A Coruña の旧市街にあった教会と瓜二つ。
Padrónの丘の上に建つ教会!修道院のような佇まい。橋を通しての眺望は素晴らしい。
Padrón(パドロン) (skeched
at 14:52 in angle of 20°)
Padrónは湾口を持つ町で、ヤコブの遺骸を乗せた船ががここに到着したとされる。
16:39 ブラジル人を含んだ10人ほどの大団体につかまる。記念撮影。
16:40Pontecesureの美しい町並みが橋の袂から眺望できる。ヴァリアントルートともうすぐ合流し5km先のValgaに向かう。16:43
テントを張る場所は無いわけではないが日没を待っている時間があれば先へ進んで見よう。途中で葡萄を摘んでいる農家の人にアルベルゲを尋ねたら10kmという。ScreenCopyの別の写真を見せてしまったためだろう。落胆していたら葡萄2房を呉れた。
18:16
San Miguel de Valga に到着。スーパーとBarを繋いだ小さな店で入り、ピザとコークの休憩タイム。Valgaのアルベルゲは2km先という。がぜん元気に。川沿いの山道を登っていく。日没が早くなれば真っ暗になるであろう。
1.5kmの山道を登り切った場所。
アルベルゲへの曲がり(19:13)
19:10 漸くアルベルゲに到着。すでに皆夕食や歓談で寛いでいる。17人目が小生。
Map:Between SC
and O Pino (Valga)
(SCからオピーノ(ヴァルガ)までの地図)
Elevation Profile :Between
Between SC and O Pino (Valga)
(Between SC and O Pino (Valga)の標高プロフィール)
【49.10/6(木)O Pino (Valga)(オピーノ(ヴァルガ))からPontevedra(ポンテベドラ)まで】+【Memoirs57--2nd day of Camino Portugués 】
今日のコースは、O
Pino(Valga)(オピーノ(ヴァルガ))から、As Cernadas--Carracedo(カラセド)→Caldas de Reis(カルダス・デ・レイス 足湯)→Briallos(Portas)→La Seca→Barro(San Amaro サン・アマロ)→Alba(San Caetano)を経てPontevedra(ポンテベドラ)までの36km。
5:00起床 8:04出発。
この時間差! 日記の整理や食事などで時間を費やす。小生を除いて全員がSCへ向かって1日か2日をかける。1日だとすれば距離が長すぎ、2日の場合は余裕が有りすぎるという中途半端な位地にあり、人気が無いのかもしれない。O Pinoのアルベルゲ(Albergue de peregrinos de O Pino (Valga) )を8:05出発。逆コースであるので朝早い時間は人っ子一人歩いていない。森閑とした林道をS字カーブを切りながら高速の方向に登っていく。谷間の最先端にあたる場所で源流が流れる場所の上が標高150mの台地となっており、広大な畑作農地が展開される。トウモロコシ畑に朝日が昇るのはお馴染みの光景。
10:00までに会ったcamino は200人。1日で600人くらい。実に多くの巡礼が歩いている。
歩数カウントに加え、挨拶3連発のオラ、ブエンカミノ、ブエノスディアス、camino 数のカウント。
例えば23 24 25 -- オラ、ブエンカミノ、ブエノスディアス、165 166 167
168---。30 31 32---。
忙しくてしょうがないが。ブエノスディアスというべきところ、ブエノスアイレスと間違ってしまった。オリンピックの都市名を言ってどうする!
寒村が多く孤立した部落のような場所をいくつか通っていく。道の「クネクネ」は最難関レベルである。Carracedo(カラセド)の部落に至っては拡大図を添えておかないと迷子になってしまうレベルのややこしさ。
黄色い矢印は頻繁に向きを変えcamino達には一刻の弛緩も許されない。これが逆方向だとさらに困惑を極める。Carracedo(カラセド)を無難に通り過ぎると、面白い田舎道が真南に続く。
Monte de Balter--Gallamonde(9:23)
Monte de Balter--Gallamonde(9:48)
ブルーのサービス矢印は2日目から極端に少なくなった。正方向の矢印から逆向きの方向を探るのが困難。T字路やY字路で進行方向にどちらに進むかが黄色い色で矢印が示される。逆向きではどちらへの分岐が正解なのかをコンパスを頼りに読み解かなければならない。
ここのランドマークは何と言ったって南北に張られた送電線である。これと何回か交差する形でcamino道が続いていくのだ。3kmほどの緑したたる林間コース。
SCへ向かうcamino達が何十人も連なっていく。これはCaldas de Reis(カルダス・デ・レイス)という大きな町から吐き出された巡礼達であろう。みんな明るくなってから歩きだしているので塊となってしまうのであろう。
北向きには皆徒党を組むように進行していく。距離さえ厭わなければ極めて楽な歩行であったろうか。さて10時半頃、足湯で有名なCaldas de Reis(カルダス・デ・レイス)に到着した。この時間ともなると町は活発に活動を始めている。大きなスーパーで食料品をGetし、ATMで現金を引き出す。
Foot bath of Caldas de Reis(カルダス・デ・レイスの足湯)(10:42)
靴を脱いでしばらく足湯を楽しんだ。コップが置いてあり飲めもする。
My Mapには15km pointにLunchという指示。葡萄畑に恰好の空き地を見つけマットを敷き昼食。camino道から外れた場所ながらあまり遠くないところにマットを敷く。こちらからは葡萄棚越しに巡礼者の歩行が見える位置などがよかろう。
彼らはいつもぺちゃくちゃお喋りしながら通りかかるのですぐわかる。今日1日で出会った巡礼者達600人くらいがSCに向けて北上していった。
線路沿いの道があったりするがとにかく暑い。日差しがカンカン照りである。Barro(San
Amaro サン・アマロ)は丘の上。線路もこの部分はトンネルんじなっている。
夕刻迫る時間帯に、森の中のcamino道をどんどん登ってくる人たち。先が遠いのにこの時間帯で大丈夫なのかと心配になる。A Portelaや、Briallos にアルベルゲがあるので6-7kmの頑張りであろうか。
こちらは大都市Pontevedra(ポンテベドラ)に向かって意気揚々と進む。Ría de Pontevedra(ポンテベドラ河口)の最深部の場所に町が展開される。教会などは遥か丘の上。Lérez(レレス)川が湾内に流れ込む。橋を渡っていよいよ狭い路地を登っていく。ここらあたりでは一番大きな町のようである。
the view from Ponte do Burgo Pontevedra
(ブルゴ橋からポンテベドラ北部)(17:32)
the view from Ponte do Burgo Pontevedra
(ブルゴ橋からポンテベドラ中心部を望む)(17:32)
Pontevedra
市内到着は17:20。頂上に教会を抱く。壮大な旧市街を擁する。
Iglesia de la Virgen Peregrina Pontevedra from Plaza da Ferraría
(フェラリア広場からポンテベドラ 巡礼者教会)
(sketched at 18:06 in angle of 100°)
Rúa Peregrina Pontevedra(ペレグリナ通り ポンテベドラ)(18:12)
アルベルゲには18:20に到着。もう殆ど寛ぎの時間帯である。玄関に入るときバッグパッカーが2人うなだれて出てきた、さては満杯かと思ったが巡礼手帳をかざすとokのサイン。アルベルゲは巡礼手帳を持っていないと泊まれないのだ。宿はほぼ満杯であり早くから到着したcamino達で溢れかえっているのである。遅く到着したcamino達は床にあてがわれたマットの上で5,6人が寝るという始末。
スーパーで買った缶ビールなどを詰めた大型のリュックを持ち込んだものだから皆面白がって荷物を担ごうとする。13,14kgはあろうか。食料の半分は夕食と朝食で消費しなければならないのだ。よって缶詰が2缶も入っているのだ。
屈強な男性ばかりであるが、皆辟易していた。慣れないためであろう。
Map:O Pino
(Valga) and Pontevedra
(オピーノ(ヴァルガ)からポンテベドラまでの地図)
Elevation Profile :Between O
Pino (Valga) and Pontevedra
(オピーノ(ヴァルガ)からポンテベドラまでの標高プロフィール)
この区間の最高標高は166m
旅の徒然
■ネコ、犬、人間
こちらのネコたちは日本の猫と同じだ。にゃ〜にゃ〜と鳴き、顔付きもそっくり 鼻は低いままだ、実に愛らしく可愛いい、人間のような種の違いが無いからであろうか。西洋人とかアジア系というような極端な変化はない。
人間の例から考察してみよう。こちらの男性はおしなべて大きい。戦いを好んできた人種のため強く逞しい人のみが生き残ってきたため遺伝的な要素に"逞しさ"が加味されてきたためではないだろうか。女性もしかり。小生など恥ずかしくて4人一緒というタイプのシャワー室には入れないのであるが。
犬の例からも考察してみよう。此方の犬はまぁよく吠えるものだ。
大きな農園を通った時のことだ。300mもフェンス沿いに吠え続けた。逆方向から来た標的に鞍替えして付けていく。しこうしてもの凄い運動量だ。散歩に連れ出す必要はない。壁の上に登って吠える犬もいる。飛びかかってくる勢いである。人間が好戦的であるがゆえに犬もそうなるのであろう。鳴き止ませることをしないのだ。散歩に糞を処理する道具を持っている人は皆無。まぁ牛がそうであるように掃除をしていたら切りがないのであろう。
猫を見よ。このおとなしい動物はあくまで平和的である。
■石畳
Camino Portuguése(ポルトガルの道)は石畳の道である。
Ferrol の町の"石畳"は怖かった。坂道に1m x 50cmのツルツルの石が敷き詰められ雨が降ったらつるりと滑ってしまう石畳。
反対にツルツルでは無いが普通の石のように凸凹、雨でもすべらないタイプの石畳。
Barcelosの舗道は5cm x 5cmの細かい石が隙間なく敷き詰められたもの。その後このタイプが舗道には多くなった。ツートンカラーとし美しくデザインされることが多いようだ。きっちりとした方形ではなくバラバラだけども全体に釣り合いがとれている。
VilarinhoからPortoに向かう道は10vm x 10cmの石で表面が凸凹の石畳が何十キロと。目土が無くなっているものが多く、ストックの先端が挟まってしまう厄介な石畳。並べ方は様々。
多角形の石が敷き詰められ表面が平らでなく凸凹であるがゆえに靴や身体にダメージが大きい"石畳"
角が丸くそこそこ大きい石を立てて置いた石畳。
山道の石畳。大小様々な石が転がり歩きづらさではNo1、熊野古道を思い出すような石畳。
そこではたと気づいた。これらは足のツボを刺激してくれるため健康にはとても良いのではないだろうかと。今まで一切の足のトラブルがないというのは道からパワーを貰っているためかも知れない。
【50.10/7(金)Pontevedra(ポンテベドラ)からSanta Eulálla de
Mós (サンタ・エウラリア・デ・モス)まで】+【Memoirs58--3rd
day of Camino Portugués 】
今日のコースは、Pontevedra(ポンテベドラ)から Santa Marta de Ganderon→Cacheiro→Arcade→Ponte Sampaio(ポンテ・サンパイオ)→Redondela(レドンレラ)→Galleiroを経てSanta Eulálla de Mós (サンタ・エウラリア・デ・モス)までの28km。
5:00起床。Pontevedra駅直近のアルベルゲ(Albergue
de peregrinos Virgen Peregrina)には遅く到着した巡礼者用に食堂にマットが宛がわれ寝ている。このため食堂が利用できない。台所で立って朝食を食べる。この不便さ。共同利用のスペースに寝たのだから起こしてしまっても構わなかったのであるがそれでは余りにも可哀そう。早朝スタートのリスクの一つであろうか。
7:30南に向かって出発。朝もやの中を進んでいく。標高130mの山を1つ登った感じ。そう高くないが今までは平地のような感じだったので結構きつく感じる。
A Rabaleira(熊野古道のような石畳の道)(9:29)
9:40 ナッツ休憩。大きな石が敷かれた熊野古道のような道が続く。22_03_002 c-d point
9:50
22_03_002 c-d
10:11 橋の袂でスケッチ休憩。+軽食休憩+カフェコンレチェ 11:04。
見晴らしもよい。8kmくらい進んだ箇所に絶景が現れた。
ローマ時代からのPonte Romana de Pontesampaio(ポンテ・サンパイオのローマ橋)が見下ろせる高台は15mほどの丘の上。眼下に小さく巡礼者たちが橋を渡ってこちらに向かってくるのが見える。下に降り立った場所でスケッチ。
ここからRedondela(レドンレラ)までの8kmが今日の最も景色の良かった場所ではないだろうか。無数のスケッチポイントに圧倒された。
Ponte Sampaio
(ポンテ・サンパイオのローマ橋を渡る巡礼者達)
(sketched at 10:19 in angle of 176°)
13:00 Redondela スケッチ休憩
Redondela(レドンレラで出会った親子)(12:57)
Redondela(レドンレラ)(sketched
at 13:13 in angle of 210°)
13:30 出発。
13:45 Bar(Don Vinarius) あり久々の肉の食事--Milanesa
de Cerdo
14:22 出発。14:34 南向きに進むため直射日光が照りつける。余りの暑さで、長袖を脱ぎ半袖に。
Redondela from Quintela(クインテラの丘の上からレドンレラ)(15:08)
15:48 クランク(22_03_009 c)で曲がった筈なのにその地図を消してしまったようだ。
失敗!"アルバムアプリ"ごときが外付けメモリーにある一枚の画像を消し去ってしまう権限がどこに有る?と言いたい。クラウドに保存しているファイルから元に戻せたが。投宿予定のSanta Eulálla de Mós (サンタ・エウラリア・デ・モス)まで2,3回道を遠回りさせられる。”正しい”camino道に何回も合流するためキツネにつままれた感じ。逆向きのcaminoには矢印(青色)が少なすぎる。
Vilar de Infesta(インフェスタ村の佇まい:標高184m-229m)(15:43)
谷筋の向こうにLouredoの町が遠望される。国道N-550が通っているメインストリートをなす人口の多い村である。こちら側の寒村と対比するとこの落差に驚く。しかしcamino道は明日の行程でこのN-550と合流するのだ。
16:45 アルベルゲ:Asociacion de Vecinos Santa baia.Mos到着。
Santa Eulálla de Mós (サンタ・エウラリア・デ・モス)
(sketched at 17:58 in angle of 349°)
Cena in Santa Eulálla de Mós
(サンタ・エウラリア・デ・モスでの夕食)(19:08)
目玉焼きを乗せたPatatas(じゃがいものソテー),
もっと美的に目玉焼きが作れないのかしら。どこのレストランでもこんな感じ。
Map:Between
Pontevedra and Santa Eulálla de Mós
(ポンテベドラからサンタ・エウラリア・デ・モスまでの地図)
Elevation Profile :Between サンタ・エウラリア・デ・モス
(ポンテベドラからサンタ・エウラリア・デ・モスまでの標高プロフィール)
この区間の最高標高は226m
3つのコブがあった!
【51.10/8(土)Santa Eulálla de Mós (サンタ・エウラリア・デ・モス)からValença
do Minho(ヴァレンサ・ド・ミーニョ)(ポルトガル)まで】+【Memoir59--4th day of Camino Portugués 】
今日のコースは、Santa
Eulálla de Mós (サンタ・エウラリア・デ・モス)からO Porriño(オ・ポリニョ)→Orbenlle→Magdalena→Tui(ツイ)(ここまでがスペイン)経由でValença do Minho(ヴァレンサ・ド・ミーニョ)(ここからがポルトガル)までの28km。
5:00起床。7:00出発。Santa Eulálla
de Mós のアルベルゲ(Albergue de peregrinos Santa Baia de Mos
)には台所があったが皆が寝ている部屋と隣り合わせでドアがない。目の前にBarが3軒もあるので料理する気にもなれず、しかも早朝から営業しているという。
7:00にopenするというので真っ暗な中を旅装を整えBarまで歩いて行く。5secで到着。このBar(Teperia Flora)の二階で泊っていたcamino3名が出かけようとしている。Barにせり出した桟敷の部分に鉄の扉がありガタビシしないと開かない代物。3人がそのドアを突き破って行った。
なんという慌ただしさなのか。滑車があってドア自身をうまくそれに載せないといけなかったのだ。というわけで店の一番客となった自分にカフェコンレチェとパンが運ばれてくる。外は寒いのでカウンター近くに座った。腰をあげて出発態勢に。外へでて南の方角に歩き始めると、親父が飛び出してきた。
方角を間違ったと思ったらしい。さっきの3人と同じように親父の生き字引では北向きに歩きださなくてはならなかったようだ。数日前から使い始めている「Fátima(ファティマ)へ行きます」という印籠がここでも通用した。ムイビエンと指を立てる。
5分ほど歩くと蛍光色の服を着た道路作業風の2人からも同じことを言われる。同じように応える。よっぽど逆方向が珍しいようである。大きい都市 O Porriñoでは更に問題が。急いで歩いていると何かアルベルゲに忘れ物をして戻るところなのかと勘違いされかねない。笑顔で余裕のある歩き方に努めなければならない。
8:35 O Porriño center
Concell do Porriño(オ・ポリニョ市庁舎)(8:33)
8:35と言うのに町は静まり返っている。
8:58 街角の美味しそうなパン屋Panadería Chinchinaで出来立てのパンをget。1日は持つ分である。ポルトガルのValença
do Minho(ヴァレンサ・ド・ミーニョ)までの宿場は、Veigadaña、O Porriño、Tui。など。このうちTuiには4軒のアルベルゲがあり、ここを出発点としてSCまで114.6km。サリアからSCに向けて出発するような感じで手ごろな距離でありしかも100kmを越えているので、巡礼証明書がもらえパラドールの賄い食にありつける権利を有する。(これに執着するのは小生だけであろうか?)
Tuiに行く経路のうち工場地帯を通るコース(6.2km)と、900m長いがいなか道を通るコース(7.1km)の分岐点。何のマークも無いのでMy Map を見ていたら角にあったBarからまた男性が飛び出してきた。今度は「Tuiか?」と聞く。やはりこの地点で正しかった。2つコースがあるのだと説明してくれる。正方向だといずれにしてもY字形に合流するのでマークがないのであろう。
10:12-58 長い方のコースの丘 topで朝食休憩。22_04_005 a'-b' 500m point 。
この休憩までcamino に会わず。休憩し始めたら20人も通過していった。不思議。
11:32 森の中で犬と記念撮影。(22_04_005 c 合流pointで)
13:30 Tuiに到着。観光スポットで休憩。絶景をスケッチ。
Tui(ツイ)(sketched
at 14:00 in angle of 240°)
この絶景の対岸はもうポルトガルであった。
Messengerで「もうすぐポルトガルですね。」と言う記事をWiFi のあるBarで読んで初めて認識した次第だ。国境を流れる川、鉄橋と車道が2段になった国際橋の上を列車が走る。
22_04_10 b-c 300 小さな教会裏庭。そのままの大聖堂が建つ丘の上へ階段を登っていく。
14:40-15:30 カテドラル横のレストランLaqueyuiで昼食。
Catedral Tui
(ツイ大聖堂をレストラン桟敷から眺める)(sketched at 15:14 in angle of
180°)
Catedral Tui(ツイ大聖堂正面)(15:49)
slope of Tui(ツイの坂道)(15:52)
16:06 国境を越えた先にポルトガルの Valença do Minhoの城が見える。
Rio Minho-Tui(ミーニョ川 :Spain
and Portugal)(16:09)
Internatinal Bridge Spain and Portugal(国境橋)(16:16)
青い矢印はお城を巻く道を何処までも誘導してくれる。これでは折角の観光が出来ない。しびれを切らし造反。My Mapに書き込んだ計画コースへ進路を変更。案の定、お城の中に2つある丘を結ぶメインストリートは観光客で溢れていた。ただし殆どは城壁際に沢山ある駐車場から歩いて来た人達だ。camino 姿で歩く人は僕一人。城壁を出てすぐの南側にアルベルゲがopenしていた。SCで「閉まっていた。」と忠告を受けていたアルベルゲである。16:00まではcloseなので時間的にはcloseしていたのであろう。
さてポルトガルに入った。
ポルトガル時間はスペインより1時間遅い(日本との時差は8時間)よって今15:22。
15:45 Valença do Minho アルベルゲ着。国境の橋からポルトガル語に切り替える。すなわち「お早うございます。」はBom dia(ボン ディア)
「有り難う」はObrigado(オブリガド)
アルベルゲはもうポルトガル語ばかりが聞こえる。
丁度自転車の少年団が到着し付き添いの親達を含めて25人の大団体。
夕食を1人で食べようとしていたら招き入れられる。骨付きチキンなどをご馳走になる。こちらは例の如くカップヌードルを食べようとしていたら全員「?」の凝視。経験が無いらしい。一口食べてははしゃぐ。ポルトガルにカップヌードルの文化を持ち込まねば。
Sunset and Fortaleza Valença
(ヴァレンサ要塞と夕陽) (sketched at 19:44 in angle of 270°)
Map:Between Santa
Eulálla de Mós and Valença do Minho
(サンタ・エウラリア・デ・モスからヴァレンサ・ド・ミーニョ までの地図)
Elevation Profile :Between サンタ・エウラリア・デ・モス
(サンタ・エウラリア・デ・モスからヴァレンサ・ド・ミーニョまでの標高プロフィール)
この区間の最高標高は192m